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わが道 わが友 日本商工会議所会頭(東芝会長)岡村正氏(1)30年ぶりに再会 以来親交深く (1/2ページ)

2008.3.11 00:40
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父を囲んでの家族写真。当時、高校戸山高校3年だった岡村氏(右端)は軟式テニスと学業にいそしむ日々だった=昭和32年、東京父を囲んでの家族写真。当時、高校戸山高校3年だった岡村氏(右端)は軟式テニスと学業にいそしむ日々だった=昭和32年、東京

 国家総動員法が施行され、世の中も騒然としていた昭和13年、東京・中野区で職業軍人だった父、誠之の次男として生まれた。父は私が5歳のころに蒙古に出征したので、幼いころの父の記憶はほとんどない。戦争が始まって、静岡や父方の実家のある和歌山などに疎開し、都合5回も転校した。疎開や空襲、敗戦といろいろな意味で不安定な時代を過ごした。

 父が帰ってくるとの知らせを受けたのは終戦翌年の昭和21年春。「アスカエル」と書かれた電報に一家で喜びにわいて出迎えたが、舞鶴港で父と再会したが、抱き上げられたときのどこか落ち着かない感じは今も覚えている。

 23年に家族で東京に移り住んだが、父は公職追放の措置を受けており、病気がちの体をおして、ガリ版の行商をやりながら家族を養った。追放解除になった後も、孫子の研究に没頭し、若い人たちと議論を重ねた。戦争責任を父は、深刻に考えていたのだと思う。

 家計を助けるため、母も働きに出ていたが、不思議と子供には何でもやりたいことをやらせてもらった。父母の苦労は並大抵ではなかったと思うが、その苦労を見せなかった両親には今も感謝している。

 その後、学芸大付属大泉中学から都立戸山高校に進んだ。当時は都立校全盛といわれた時代だが、もともと勉強に対しては非常に厳しい学校で、朝の7時半から数学や英語の講義がある。先生方も実に熱心で、そういう雰囲気に後押しされてか、私自身も勉強に打ち込んだ。悪く言えば受験戦争のはしりだったのかもしれないが、日本がちょうど成長する昭和29年から32年にかけての時代で、私自身も勉強すれば将来大きな仕事ができる、という思いもあった。

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父を囲んでの家族写真。当時、高校戸山高校3年だった岡村氏(右端)は軟式テニスと学業にいそしむ日々だった=昭和32年、東京
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