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【話の肖像画】最先端のサキへ(3)シャープ元副社長・佐々木正さん
■米国から学び米国を抜く
−−終戦後、今度は米国から学ぶことになります
佐々木 昭和21年、連合国軍総司令部(GHQ)に呼び出され、日本での電話機の品質を向上させるため、「クオリティーコントロール(QC)を学んできてほしい」と。派遣先は、ウェスタン・エレクトリック(ペンシルベニア州)。翌22年、プロペラ機で太平洋のウェーク島とハワイを経由してサンフランシスコに到着しました。
−−少し前の敵国へ
佐々木 抵抗なんかないですよ。むしろ、技術の進んでいた米国には尊敬の念すらありました。米国も歓迎してくれ、ベル研究所にも出かけ、発明からまだ数日しかたっていなかったトランジスタを教えてもらった。「成功するな」と予感した。28年、神戸工業は日本で初めてトランジスタの製品化に成功。真空管の時代は終わり、トヨタ新型車のカーラジオに採用され販売。他社より半年以上早かったんですよ。
−−次は電卓の時代
佐々木 その数年後、英国で世界最初の電子計算機「アニタ・マーク8」が発売されました。日本は歯車をモーターで回す電動式の時代。英国製品を分解して研究開発が始まり、早川電機工業(後のシャープ)が、世界初のオール・トランジスタ・ダイオード方式の計算機を発売。その1号機は40センチ四方、重さ25キロ、値段は53万5000円。
−−引き抜かれる
佐々木 ぼくは早川電機に引き抜かれ、電卓開発の先頭に立った。徹夜で改良を重ねた2号機は重さを9キロ軽く、値段も49万8000円と大台を切った。こんな値段でも40年に発売するや、国内シェア半分を占めるヒットとなったんですよ。
−−集積回路(IC)、大規模集積回路(LSI)とめまぐるしい進歩をします
佐々木 LSI開発のきっかけはアポロ計画。ぼくも米国に出向いて開発を手伝いました。実は人類初の月着陸を達成するアポロ11号は直前に月にぶつかりそうになった。主にトランジスタを使用したコンピューターのデータが満杯になったからでした。そこで、情報量のより多いLSIのコンピューターが必要となり、アポロ12号に搭載された。ぼくは米社と契約してLSIを電卓に応用した。アポロと電卓ということで話題になりました。
≪電卓の小型・低価格戦争はカシオが47年、さらに安い商品を出して終焉(しゅうえん)。だが、佐々木さんの功績はその約30年後に高い評価を受ける。米国電気電子学会(IEEE)の名誉会員に選ばれた。日本人で盛田昭夫氏(ソニー)らに次ぎ5人目。「電卓の発明・開発におけるリーダーシップ」がその理由だった≫(大家俊夫)
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【プロフィル】佐々木正
ささき・ただし 大正4年、島根県生まれ、92歳。京都帝大卒。川西機械製作所(神戸工業の後、現富士通)を経て早川電機工業(現シャープ)に移籍、電卓開発の陣頭指揮をとる。