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【話の肖像画】最先端のサキへ(2)シャープ元副社長・佐々木正さん
■独への特命派遣が原点に
《「最先端」との最初の出合いは戦時中。ある技術をドイツで学んでこいという特命を受けた。その技術はまだ日本にないものだった》
−−時計の針を戻すと
佐々木 60年以上も前だとぼくは30代前後。戦時中の話はつらく、悲しいことが多く、本当はあまり話したくないんですよ。でも若い人に話すのは戦争を体験した人間の責任。軍は学生時代のドイツ留学と真空管研究をしていたぼくに、ドイツに行ってレーダー技術を学んでこいと極秘命令を下したのです。
−−なぜドイツへ
佐々木 ドイツは当時、米機の本格的な爆撃をほとんど受けていなかった。それはレーダー技術の差。米機がオトリの金属箔(はく)を空中にまいても、ドイツのレーダーは的確に機影をとらえることができた。日本のレーダーではその金属箔が邪魔をして、画面が霧がかかったような状況に見えたんです。
−−同盟国は親切でしたか
佐々木 「世界で友人は日本しかない」という歓迎ぶり。ただ、レーダー技術をドイツ中部の大学で必死に勉強したけど、現地の大学生程度の知識もなかった。ドイツ人に「サルだって体毛のシラミを自分で取れる。日本人はサルより劣るのか」と言われましたよ。ドイツの高性能レーダーは飛行物体をシラミが動くように映し出す仕組みで、このシラミを引き合いに出して痛烈に皮肉ったんですね。
《落ち込む間もなく、今度はレーダー技術をどうやって日本に持ち帰るかだった。一緒にドイツに来た軍の少佐と二手に分かれて帰国の途に》
−−スパイ映画さながら
佐々木 とにかく帰らないと。必死でしたね。ただ、ほかのことはさすがに昔のことなので…。図面のコピーをもったぼくは無事帰国。原本をもった少佐の船はシンガポール沖で撃沈されました。
−−助かったけど
佐々木 「自分だけ助かった」という後ろめたさが残りました。それでも冷静になると、ドイツの技術のすごいことがわかった。ドイツでは信号の中から必要な情報を取り出し処理していたという事実に衝撃を受けました。
−−情報と信号とは
佐々木 いまでこそ「リトリーバル」という技術として、大学でも教えられている。奥さんがスーパーで無意識に取捨選択して食材を選ぶような考えに似ているでしょうか。しかし、当時の日本ではだれも知らなかった。この考え方は戦後、今度は平和産業に携わるぼくの技術開発の原点となりましたね。(大家俊夫)
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【プロフィル】佐々木正
ささき・ただし 大正4年、島根県生まれ、92歳。京都帝大卒。川西機械製作所(神戸工業の後、現富士通)を経て早川電機工業(現シャープ)に移籍、電卓開発の陣頭指揮をとる。