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【ドイツ車はいま】「東独のポルシェ」再生計画 (4/5ページ)
労賃は他の旧西独地域の工場よりも多少、低く抑えられる程度ながら、「(経済発展著しい東欧での労賃と)ライプチヒ工場の労賃の隔たりは数十年後、同じになると計算した」(ミヒャエル・ヤンセン広報部長)。
水素燃料の「ハイドロジェン7」の開発など、環境重視の生産で注目されつつある同社の幹部は「投資は短期間ではなく半世紀の視点で行うべきものだ」と強調する。
ポルシェも02年、ライプチヒで生産を始めた。そのありようはしかし、BMWとは多少異なる。ポルシェはスロバキアでも生産しており、「(ライプチヒ工場は)スロバキアでほぼ仕上がった車体に(独南部で作った)エンジンを乗せる『結婚場所』にすぎない」(識者)との見方もある。
東欧製車両に「メード・イン・ジャーマニー」の“王冠”をかぶせるようなやり方に、独高級車メーカーのブランド維持へのこだわりがのぞく。
幻の車 再興への挑戦 旧東独への郷愁高まり
冷戦時代、旧東ドイツの人々を熱狂させた東独製スーパーカーがある。「鉄のカーテン」の中の各種レーシング大会で活躍、“東のフェラーリ”と呼ばれた「メルコス」だ。10年間で101台生産されただけの幻の車を本格再興させようという創業者一族の挑戦が、2006年夏に始まった。
復活へのハンマーを握るのは、旧東独地域のドレスデンで車を開発したハインツ・メルコス氏(05年死去)の長男ペーター氏(51)である。
この車の誕生自体、旧東独史上では特筆すべき“事件”だった。私企業の存在を公に認めていなかった時の東独政権が国家樹立20周年に当たる1969年、ハインツ氏に生産を特別に許可した。その背景には、政権側の政治的な計算があった。
共産圏の大会でそれまでレーサーとして約80個のメダルを獲得し、後に“東独のシューマッハ”とも呼ばれる氏は、卓抜した技術者でもあった。新車が「東独の優良品」という西側向けの宣伝材料になると政権が考えたのはいうまでもない。同車は実際、西欧モーターショーにも出品された。
だが、過酷な運命が待ち受けていた。79年に部品不足に陥って政権の支援を得られず、生産中止に追い込まれたのだ。
ぺーター氏は「東独政権は(国際的な宣伝になる)五輪選手の養成の方に重きを置いた」と振り返る。生産中止は、同車が国威発揚手段にはなり得ないとの政権側による死刑判決に等しかった。


















