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【TOKYOの時代】(6)羽田空港 広がる翼陸空網羅 (4/5ページ)
このニュースのトピックス:TOKYOの時代
その8年後に成田空港が開港し、原則として国内線専用となった羽田だが、84年からの沖合拡張が進展。対照的に成田では2期工事がはかどらないことから、羽田の国際化を求める声が各方面から聞かれていた。
とくに、97年のC滑走路オープンで24時間運用が可能になると、翌年6月に東京都議会が羽田国際化を推進する意見書を採択。同年9月には、特例措置として地元の大田区民による国際チャーター便がホノルルに向けて飛び立った。
これに対して、羽田国際化の動きに強く反発していた千葉県が2000年12月、条件付きで国際チャーター便を容認。そして、建設中の新滑走路が運用開始予定の10年10月末以降、国際定期便の運航が再開される見通しとなった。羽田は「日本の空の玄関」として世界に再デビューを果たすことになる。
しかし、国内航空網の中心に位置する羽田の役割はさらに重要性を増すうえ、激しい反対運動の過程で多数の死傷者を出した成田にも歴史的経緯があることから、国土交通省では「成田を補完する形での国際化」(桜井俊樹・飛行場部管理課長)としている。
具体的には、成田の運用時間帯(午前6時〜午後11時)では東アジア方面など近距離国際便に限って運航し、深夜・早朝は欧米路線のほか貨物便も発着させようというものだ。


