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【正論】「ネット」と新聞 新聞界の常識が崩れ去った 東京大学教授・坂村健 (2/3ページ)
世界中にちらばったフリーのルポライターのような記者が独立して記事を書く。それを各種検索エンジンが収集し読者の関心属性にあわせて見出しの大きさやレイアウトを個別調整し、大判の電子ペーパーに自動配信。読者の関心を引いた率に応じて、記事の原稿料が自動的に分けられ記者の収入となる−−そういう過激な「新聞の未来」にも十分な可能性がある。
この未来には、新聞「紙」は、タブロイド紙大の柔らかで極めて軽く電子的に書き換え可能な電子ペーパーとして進化し、新聞「記者」は立場を変え、新聞「レイアウト」は生き残るが、新聞「社」も新聞「販売店」もいない。
他にも、最近はやりの読者がそのままニュース発信者となるモデルで、それを集めて選別し編集する機関として新聞「社」が変化し、プロの「記者」がいなくなる未来も考えられる。
≪技術より社会変える勇気≫
ここで未来を決めるのは実は技術ではない。技術が未来を決めるなら、技術屋が言ったとおりに未来はなるだろう。しかし、実際はそんなことはない。私が言えるのはせいぜい先に上げたようなさまざまな未来の可能性だけだ。そのどれが実現するかはわからない。
社会のデジタル化・ネットワーク化が引き起こしたのは、実は本来は必要がないのに事業者・社会プロセス・形式・ニーズといったものにはめられた枷(かせ)からの単なる「自由」であって、そこに方向性はないからだ。
その「自由」を、どう生かし「未来」をデザインするか。それを決めるのは、技術ではなくあくまでも社会だ。おそらく、その制度設計の最大課題となるのは著作権という社会制度の再設計だろう。
そのとき、社会系の学問の門外漢として私が危惧(きぐ)するのは日本の技術力ではない。「枠のない自由」に挑戦して新しい社会を再構築することに、安定志向のわれわれ日本人は不得意ではないかということだ。

