ニュース:経済・IT RSS feed
株価大暴落 ブラックマンデーから20年 (1/2ページ)
■米国発の危機 今もくすぶる
史上最悪の22.6%という株価大暴落を記録した1987年の「ブラックマンデー(暗黒の月曜日)」から19日で20年。就任間もない当時のグリーンスパン米連邦準備制度理事会(FRB)議長の対応で混乱は沈静化したが、日米欧の金融政策の足並みの乱れは日本をその後のバブル経済へと導いた。低所得者向け高金利型住宅ローン(サブプライムローン)問題が日米欧の金融市場を揺るがす現在、ブラックマンデーの教訓の重みが改めて認識され始めている。(ワシントン 渡辺浩生)
■ルーブル合意
20年前の10月19日は月曜日。寄り付きで下落したニューヨーク証券取引所のダウ工業株30種平均はいったん値を戻した後、午後になって下げ幅を急速に拡大。取引画面に映し出される数字に市場関係者の誰もが言葉を失った。
そのとき、翌日の講演のためダラス空港に到着したグリーンスパン議長も、「508」という連銀幹部の報告を「5・08」と聞き間違えたほどだった。この日記録した508ドルというダウの下げ幅は、世界恐慌の発端となった1929年10月24日(暗黒の木曜日)の下落幅を超え、恐慌再来の恐怖が広がった。
その年2月、パリで開かれた先進7カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G7)。米経常赤字の縮小のためドル安に誘導するプラザ合意(85年)以降の日米欧の協調利下げに伴い、87年に入ってドルは1ドル=150円台に下落。ルーブル宮殿に集まったG7各国は、これ以上のドル安は世界経済に逆効果と考え、「為替相場の現行水準の安定」で合意した。
しかし、その後、日米欧協調の足並みが乱れる。西ドイツは米国の反対を振り切り、国内のインフレ懸念から金利を高め誘導。市場に「政策協調は破綻した」と受け止められ、金利先高感が台頭し、株価暴落の引き金になったとされる。

