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駒づくりは面白い 自作で指す気分最高
■高尚な趣味、やる気と根気必要
駒のふるさとは山形県天童市が有名。だが、近年は日本のあちこちで趣味で駒づくりをする人が増えている。
と言っても趣味の駒づくりはまだまだ珍しく、ちょっと高尚で面白い。やる気と根気は必要だが、基本は良く切れる彫刻刀を研ぐこと。
関西では20人余りの将棋愛好者が集まって日本将棋連盟支部「関西駒の会」を結成している。作った駒を見せあい将棋を指す気分はまた格別である。
かく言う私の駒づくりの原点は35年前のサラリーマン時代に溯る。将棋好きの私は、あるとき宝石のように輝く駒を見て感動し欲しくなった。
当時、駒はプロが作るものと決まっていて、高級駒のノウハウは秘密とされていた。特にタイトル戦に使われる「盛上げ駒」は東京で作られ、上物の「彫り駒」は大阪製に限られていた。しかも作り手は、70歳に近い人ばかりの3人のみ。高級駒の先行きが案じられる時代であった。
私はその一人に注文して出来上がるのを待った。しかし半年1年が経っても出来る気配がない。それで自分で作るしかないと思うようになった。
駒形になった木地を手に入れて、手探りで作り始めたのが29歳のとき。4カ月を掛けて出来上がった駒を将棋の南口繁一八段に見せたところ、中原誠名人と加藤一二三九段の記念対局に使われることになったのは望外な出来事だった。
駒づくりはすればするほど面白い。3年後、将棋ファンに駒づくりを広げようと思いついた。駒づくりをする人が増えれば、その中から一人二人は上物作りが生まれるだろう。ライバルを作ることにはなるが大きく見れば将棋界のためにもなるとの思いもある。
将棋誌で「駒づくりを楽しむ会」を呼びかけたところ、たちまち入会希望者や問い合わせが殺到。今更あとには引けない状況になった。
大阪・東京・名古屋で講習会を開き、会報は13年間発行した。大阪・横浜・京都・四日市などで作品即売会を開催。東京会場には毎回のように大山康晴名人や原田泰夫九段が来場し応援してくださった。
やがて駒の歴史研究や事績調査にも手を広げた。どこそこに良い駒があると聞けば、カメラを持って出掛けては将棋誌にレポートした。
最大の成果は、水無瀬神宮(大阪府三島郡島本町)での「将棋駒日記」発見。安土桃山時代から江戸時代に至る400年前の13年間における水無瀬家での駒製作記録で、その735組には一つ一つ譲り渡し先として、天皇を意味する「上」をはじめ、関白・公卿・武将名が繰り返し記され、水無瀬駒が当時の超高級品だった事を証明する貴重な資料だと判ったときは、心が震える思いがした。
中でも1600年前後で53組を購入した徳川家康は、武将らへの贈答に使った事は明白で、天下分け目の戦い勝利の裏に水無瀬駒の存在もあったようだ。
余談だが、38歳のとき私のありったけの知識を240ページに集約した『名駒大鑑』は、4半世紀が経った現在でも駒のバイブルとして評価されていると自負している。
「駒づくりを楽しむ会」は昭和63年に終了。その13年間で駒づくりをチャレンジした人は1600人くらい。その中で今も続けている人は1割ほど。それに近ごろ始めた人を加えると、現在の駒づくり人口はおよそ200人くらいの計算になる。
私が会社を早期退職しプロに転向したのは53歳の時。そのスタートとした「プロ宣言展」は、将棋界の大御所で能筆家でもある原田先生にお願いして「書作展」で応援していただいた。身に余る光栄であり、先生の広い心に感謝している。
それから11年が経つ。アマチュア時代を含めると34年。私にとって将棋駒は、潤いある人生を導いてくれた女神のよう。遠くてなかなか深奥には届きにくくても、心の喜びと幸せをもたらし続けてくれている。(熊澤良尊)
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【プロフィル】熊澤良尊
くまざわ・りょうそん 将棋の駒師。趣味ではじめた駒作りが本業に。谷川浩司九段にも愛用され、棋聖戦などタイトル戦でも使用されている。著書に『名駒大鑑』。京都府加茂町在住。

