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【正論】天皇の20年 「泰然として動じないもの」 文芸批評家・都留文科大学教授 新保祐司 (1/2ページ)

2009.1.5 02:46
このニュースのトピックス正論

 この1月上旬に大竹秀一著『天皇の学校−昭和の帝王学と高輪御学問所』(ちくま文庫)が刊行される。

 著者の大竹氏は、産経新聞社の元論説副委員長で、原本は20年ほど前の昭和61年に出版された。当時、読む機会を逸していたが、今回、解説の執筆を担当することになり、精読した。

 この御学問所は、大正3年5月、高輪の東宮御所の中に設けられ、7年間存続して同10年3月、閉校したもので、昭和天皇が、皇太子裕仁親王のとき、13歳から19歳まで、この御学問所で5人の学友と共に学ばれたのである。

 設立の発案者は、陸軍大将で学習院長の乃木希典である。乃木の自死の後、いわば乃木の遺言によって出来た学校といってもよく、総裁は東郷平八郎であった。

 大竹氏の著書は、この御学問所設立の経緯、教師陣の人物像などを、要となる「倫理」を担当した杉浦重剛を軸にして叙述した労作である。

 明治天皇に殉死した乃木希典が発案した御学問所の「帝王教育」は、いわば明治天皇の影の下にあった。その点については、「文武両道を兼備した英邁(えいまい)にして剛毅(ごうき)な帝王、それこそ理想の君主像でなければならぬ、と彼は考えたであろう。そして彼自身崇拝してやまない明治天皇のお姿を、裕仁親王のうえに思い描いていたかもしれない」と書かれている。

「帝王教育」の根本に

 杉浦重剛の、明治6年10月の御前講義でのエピソードも明治天皇につながる。当時、化学を専攻していた杉浦は、開成学校の開校式の日に、明治天皇の御臨席の下、実験をしたが、緊張のあまり、アンモニアをひっくりかえしてしまう。講堂には猛烈な臭気がたちこめて、列席の三条実美をはじめとする参議などの顕官が大騒ぎする中、明治天皇だけは泰然として姿勢を崩さなかった。

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