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【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂 帝王教育の大切さを伝える (2/3ページ)
「参議院の松本某…」は、両院正副議長4人の中で、松本治一郎・参院副議長(社会党)だけが昭和天皇への拝謁を拒否したことを指すとみられる。当時は、日本の一部で皇室を軽んじる風潮が強まり、昭和天皇の戦争責任を声高に指摘する声もあった。また、作家や知識人の共産党への入党が相次いだ時代である。
小泉氏の手紙には、そうした風潮を嘆き、あくまで民間の言論人の立場から皇室を守り抜こうとする気概がうかがえる。このころ、小泉氏は代表作となる「共産主義批判の常識」(昭和24年刊)を執筆中だったと思われる。
しかし、田島氏はあきらめず、何度も小泉氏を説得し、小泉氏の義兄で元国務相の松本烝治氏や慶応出身で「三井の大番頭」といわれた池田成彬氏にも説得を依頼した。その結果、小泉氏は翌24年2月、東宮御教育常時参与への就任を承諾したといわれる。
小泉氏はその後も、しばしば、田島氏に当時の皇太子殿下の近況を手紙で報告している。
昭和27年6月4日付手紙では、殿下が駐日フランス大使とフランス語で話された様子について、座席位置を図解しつつ、「少々お吃(ども)りになりつつ、しかし、云(い)ふべき挨拶(あいさつ)は完全に云ふ、といふ御態度で、ゆつくり仰せあり、それが却(かえっ)て御宜(およろ)しかつたやうに思ひます」と伝えている。