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【ヒゲの殿下、大いに語る(中)】「皇室にはさまざまなストレスがある」 (1/2ページ)
−−殿下は英国の大学留学から帰国後の会見で、『皇室のスポークスマン役を果たせるようになりたい』とおっしゃっていました。その通りになりました
殿下「高等科の時、もし、いまここで皇室の必要性の是非を決める国民投票があったら、皇室のことを何も知らないでバッテンをつける人もいるのではないかと思ったわけです。皇室に関する情報が少なすぎました。皇室のことを知っていて、私とも付き合いがあって『寛仁親王ってのは生意気で嫌な野郎だ。あんな皇族はいらない』ということでバッテンをつけられるならわかりますが、知りもせずに『いらない』というのはたまりません。そこからです、友達獲得合戦を猛烈に始めたのは」
−−英国から戻られて、冬季五輪札幌大会組織委員会事務局で皇族として初めてサラリーマン生活を経験されました
殿下「ヒラ主事です。組織委は役所と同じようなものですから一番下ですよ。伯父さま方(故秩父宮殿下、故高松宮殿下)が昭和3年にすでに「(五輪開催地は)札幌が適地だろうから用意をした方がいい」とおっしゃっていましたから、その御遺志を継ぎたいという気持ちがありました。それと国民のなかに仲間を作らなければいけないという気持ちが強かったから、『皇室の札幌支店長』と言ってススキノで飲み歩いては、仲間作りにいそしんでいました」
−−昭和54年に「皇籍離脱」を申し出られました。活動に不自由があったのでしょうか
殿下「関係者の方々もご健在ですから、まだ本当のことは言いづらいですね。あの当時は今度の皇室典範のような問題が起きるとは誰一人考えていなかったわけですから、私みたいな素っ頓狂な男が一人やめようが、昭和天皇が盤石のようにいらっしゃったし、伯父様方、伯母様方も存在感を持っていらしたから、私は現場監督に徹したいと思ったわけです」

