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【人語り】寛仁親王殿下(61) 皇室のスポークスマン (2/4ページ)
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「8回目の手術でのどが皆さんの3分の1しか開かなくなって、ジョギングもできなくなりました。そこで毎日、(お住まいのある)赤坂御用地の周りを黙々と歩くわけです。悲しいのは、お年寄りが普通の速度で歩いているのになかなか追い抜けない事です。部屋では筋力も鍛えています。まだ道半ばですが」
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自他ともに認める「皇室のスポークスマン」。強く意識し始めたのは学習院高等科に在学されていたころにさかのぼる。当時、皇室は16人。皇室に関する情報も非常に少なかったと言われる。
「もし、いまここで皇室の必要性の是非を決める国民投票があったら、皇室のことを何も知らないでバッテンをつける人もいるんじゃないかと。私と付き合いがあって『生意気で嫌な野郎だ』ってバッテンつけられるならわかりますが、知りもせずに『いらない』と言われるのはたまりません。そこからです、友達獲得合戦を猛烈に始めたのは」
英国留学から帰国して2カ月後の昭和45年10月、冬季五輪札幌大会組織委員会にご就職。皇族として初めてのサラリーマン生活は月給4万1700円、3DKのアパート暮らし。「『皇室の札幌支店長』を自任し給料をやりくりしてススキノに通い、仲間作りにいそしみました」
50年にはラジオの深夜放送のディスクジョッキー、翌年にはテレビのトーク番組に相次いで出演し、天皇制から私生活まで飾らぬ言葉で語られた。一方で障害者福祉、スポーツ振興、青少年育成…と、あまり光の当たらなかった分野での活動にもご尽力。“ヒゲの殿下”。親しみを込めた愛称は、国民の間に浸透していった。

