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【話の肖像画】美手ありき(3)女流棋聖・梅沢由香里さん
■“自分探し”からプロの道へ
《梅沢さんは昭和62年、13歳のときに加藤正夫名誉王座に弟子入りし、院生(日本棋院認定のプロ棋士を目指す青少年)となる。梅沢さんはめきめきと頭角をあらわし、プロ試験の合格もそう遠くはないように思われたのだが…》
−−プロを目前に足踏みの状態が続いたそうですね
梅沢 高校時代には一度、「学校をやめて囲碁に専念しよう」と思ったこともあったのですが、結局、進学しました。囲碁界のなかで、大学に行かなかったことを後悔している人がいる、という印象を子供心に持っていたからです。ところが、入学(慶応大学)すると、急に眼前に新しい世界が開けたようで本当に楽しくて…。最初は「もっと碁をがんばろう」と思っていたのですが、集中できず、囲碁の成績は悪くなるばかり。だから囲碁の方をやめようと思いました。
−−囲碁のほかに目標ができたということですか?
梅沢 そうではなかったですね。一つにはプロ試験に落ちるということに疲れてしまっていたし…。そのときはもう、衝動的というか、疲れてましたね。囲碁をする、ということに。
−−なぜプロ試験に通らなかったのか。当時、その答えは出ていましたか?
梅沢 自分がそんなに努力しているわけではない、というのは頭で分かっていましたけれども、なかなか認めようとはしていなかった。それと、自分が精神的に弱い、「ここで勝ちたい」となると自分らしくなれないな、ということも分かってました。
《梅沢さんと囲碁の縁が切れることはなかった。梅沢さんはアマの学生棋士として活躍する一方、衛星放送で囲碁の司会や解説を担当。そんななか、心境に変化が訪れる》
−−再びプロを目指そうと思ったきっかけは?
梅沢 卒業が近づき、友人たちが就職活動をはじめたとき、自分は何をやりたいのか、すごく悩みました。そして自問していくうち、「やっぱり囲碁だ」と思うようになったことが一つ。あと、衛星放送の司会でプロの方々が真剣に、死力を尽くして闘っている姿を間近にみて感動し、「自分の目指すゴールはここではないのか」と考えるようになったこともあります。
《「自分探し」は終わった。“再チャレンジ”した梅沢さんは大学4年生の冬、見事プロ試験に合格する》
−−寄り道、でしたね
梅沢 でも、逆に時間をおいた分、取り組む勇気がわいてきた、という面はありました。また、それまでは敷かれたレールの上に乗ってきたようなところがあったのですが、初めて、自分の意思でいろいろ考え、結論を出し、しかもそれが成功した。悩んでよかったと思っています。(聞き手 関厚夫)