ニュース: 文化 RSS feed
【書評】『寒影』荒崎一海著
■滋味あふれる佳品
越後・長岡藩7万4000石の牧野家に仕える倉沢結之介は、勘定方を勤め、石高およそ110石。27歳になった結之介は妻、菊乃を迎えたばかり。落ち着いた日々をすごしていました。
晩夏の終わり頃(ごろ)、野駆けの帰りに、若き藩主一行が突然、結之介の家に立ち寄り、一服の茶を菊乃に所望することから、物語は始まります。
数日後、藩主により菊乃のみ城中に呼び、彼女の消息はそれ以来消えてしまいます。その日から、結之介の苦悩の時が幕を開けます。
この『寒影』は「闇を斬る」シリーズで人気の荒崎一海氏の初めての書下ろし長編小説になります。
封建の世に、武士が武士として如何(いか)にいきるべきか? そして、まことの忠義とは? どのような理不尽であろうと、主君の意向に従わなければならないのか、などを深く鋭く描き出します。そして、江戸という時代が終わって140年余り、われわれは何を得て、何を失ったのか。全編にわたり、通奏低音のように流れる、結之介夫婦の気持ちの在り様が、読者の心の奥底を、必ずや強く打つことでしょう。
例えばこのような個所。…ふと思いつき、結之介は懐から手拭(てぬぐ)いをだした。「これを持ってなさい。わたしの心はつねに菊乃とともにある。姿は見えずとも、わたしがついている」…。
派手な立ち回りもなく、藩を揺るがす陰謀もありませんが、時代小説を読む愉(たの)しみが横溢(おういつ)し、滋味溢(あふ)れるウエルメイドな佳品といえます。また北国の移ろい往(ゆ)く四季の風景も見逃せません。(文芸春秋・1680円)
文芸春秋編集委員 池田幹生

