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【芥川賞の楊逸氏】中国人にとって天安門事件とは何だったのか (1/2ページ)
「日本語で小説を書くのは不自由ですが、泳げないのに泳いでみるという楽しさがある」
日本語以外の言葉を母語とする作家が芥川賞を受賞するのは初めてのこと。前回候補となった「ワンちゃん」は、日本語としてこなれていない表現もあったが、受賞作の「時が滲む朝」はこれを軽々とクリア、言語感覚の非凡さをうかがわせた。
「書くときは日本語で考えますが、行き詰まると中国語に切り替えて考え、それを日本語に訳すという作業をします」
受賞作は、あこがれの大学に入学したものの、民主化運動に熱中したあげく放校処分となってしまった2人の青年の彷徨(ほうこう)を突き放したタッチで描く。モチーフはもちろん1989年6月4日に起こった天安門事件だ。
「民主化運動が過熱している様子を日本のテレビで知り、89年5月中旬に中国に戻りました。デモには参加しませんでしたが、天安門広場に行ってみました。戦車が入ったときには汽車に乗っていたので、事件そのものは目撃していません」
中国人にとって天安門事件とは何だったのか−。「書く仕事をする者として、書き残しておきたかった」というが、作品に政治的な意図をこめることは一切していない。現実に翻弄(ほんろう)され、理想と夢を無残にくじかれた人間が、その後の人生をどのように生きてゆくか−。ほろ苦い余韻を残すこの作品の主題はここにあるといっていいだろう。
「理想は現実の中でくじかれるものです。私も転びながら生きてきました。そしてこう思うのです。人生のさまざまな体験は《時》が経過することによって、その真の意味が見えてくることがあります。タイトルに《時》という言葉を入れた理由はそこにあります」(桑原聡)







