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【週末読む、観る】(4)『太宰治はミステリアス』ほか (1/4ページ)
【旬を読む】『太宰治はミステリアス』吉田和明著(社会評論社・2100円)
文芸評論家 亀井秀雄
■神話の形成過程を解きほぐす
太宰治はいつから津島修治になったのか。この問いは、不思議に思われるかもしれない。なぜなら、一般には、津島修治が太宰治というペンネームの小説家になったと理解されているからである。
だが高見順や埴谷(はにや)雄高(ゆたか)や三島由紀夫など、太宰と同世代の、ペンネームを用いた作家は、自分の本名を読者に晒(さら)すなんて不手際はしなかった。ところが太宰はある時期から自分の本名や出自をちらつかせ、ある意味ではそれを「売り」にしていた。彼はなぜ太宰治で通すことができず、津島修治を演じなければならなかったのか。今後書かれるべき太宰論はここから始まる。
もともと作家論というのは、一定の時代的枠組みと、一連のパラダイム(思考の枠組み)によって作られる物語であって、例えば「母性(または故郷)」「アイデンティティ(自己同一性、またはその喪失)」「トラウマ」、「内面」「挫折」などのパラダイムで作家の生涯を解釈しながら、20世紀とか、戦中と戦後とか、世紀末とかいう「時代」の中においてみる。すると、「時代に先駆けた」「時代を駆け抜けた」「時代の病を病んだ」等々の文学者が誕生する。
吉田さんの著書は、作家論という物語が作られるプロセス自体を偶像破壊的に語ったものといえるだろう。太宰治の『富嶽百景』は芸術的抵抗だった、太宰は山崎富栄に殺されたのだ、等々、太宰治という「物語」のキーとなる神話の形成過程を、吉田さんは執拗(しつよう)かつ饒舌(じょうぜつ)に解きほぐしていく。
神話の作り手は、言うまでもなく太宰治に感情移入する読者であるが、吉田さんの独創的な点は、書くという行為もまた太宰のパフォーマンスだったととらえたことにある。太宰治はその全作品を、読者に、「太宰治」という作家が自分のことを書いたと思わせるように書き、そして彼自身、その「太宰治」に憑依(ひょうい)してしまったのだ、と。
私は、ちょっと吉本隆明ふうな発想に引きずられているなと思ったが、言わんとするところはよく分かり、賛成だった。もう一歩進めば、なぜ太宰が津島修治を演じなければならなかったか。そこにまでたどり着いただろう。
とはいえ、今年は太宰治の没後60年、来年は生誕100年に当たる。太宰を舁(かつ)ごうとしている人たちには強烈にキツイ太宰像であることは間違いない。
かめい・ひでお 市立小樽文学館館長、北海道大学名誉教授。著書に『「小説」論−「小説神髄」と近代−』など。