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【週末読む、観る】94歳の音楽評論家・吉田秀和さんに聞く (4/4ページ)
【大書評(3)】
『幻の大連』松原一枝著(新潮新書・735円)
満92歳の著者である。
書くということへの執着、いや執念がなければ、著作活動はここまで長く継続できるものではない。
まずはそのことに、脱帽する。
これまで数々の本を世に送りだし、田村俊子賞も受賞したこの著者が、もうひとつどうしても書いておかなければならなかったのが、この『幻の大連』だと思われた。
著者自身、生まれた直後から、かつて日本の植民地だった大連で育ち、満鉄に勤務した父や母とともに引き揚げる昭和12年まで、年齢でいうと21歳までかの地で暮らした。
本書で描かれるのは、現代史の現場のすぐ近くに生きた彼女自身の自分史であり、植民地における日本人や中国人などの生活とその感性である。
たとえば、当時小学生だった著者が遠足で向かったのは、日露戦争の戦跡めぐりが主だった。
203高地で、教師がどんな言葉を口にし、子供たちが何を考えたか。著者の記憶は鮮明だ。
女学校時代には、張作霖爆殺事件(昭和3年)が起こった。
事件の翌日には、家にいた中国人使用人から、これが日本軍の謀略だと、内証話で詳細に聞いてもいる。
関東軍がモルヒネ中毒の浮浪者を南方便衣隊に偽装させ、鉄道爆破の犯人に仕立てあげたという真相は、敗戦後の東京裁判で初めて明らかになるわけで、歴史の現場においては国民が欺かれ、他国民のみが知る事実があることを、本書は如実に示した。
このような歴史の建前と真相との相克を突き付けられたがために、著者は書く作業に駆り立てられ、作家になったのではなかったか。
男装の麗人川島芳子、元憲兵大尉甘粕正彦、闇の阿片王など昭和の怪人たちも、ここでは単に歴史上の人物ではなく、すぐそばにいる人間の息遣いをしている。細部まで書き込まれているのに感服した。
(ノンフィクション作家 中丸美繪)
まつばら・かずえ 大正5年、山口県生まれ。『お前よ美しくあれと声がする』で田村俊子賞。