ニュース: 文化 RSS feed
【週末読む、観る】覚悟の整理整頓も…あさのあつこ「仕事の周辺」 (2/4ページ)
【旬を読む】〈前田塁(+市川真人)〉
中原昌也著『ニートピア2010』(文芸春秋・2100円)
中原昌也といえば今や“日本現代文学希望の星”、賛意の旗を揚げれば文学的守旧派の烙印(らくいん)は避けられ、門前払いの蛮勇を奮えば伝統文学の防人を気取れる……芥川賞“悲運の落選”以降いや増すそんな風潮は、作家本人や作品がどこか置き去りな点であの村上春樹にも似て、気づけばいつも誰かがその名を口にしている。世に数多(あまた)ある“読まぬ者にもケナされる”作家の作品は、ちゃんと読んでも評価はさして変わらぬものだが、彼ら“読まぬ者でも褒めたくなる作家”の作品は、精読するとよくわからなくなる。ノーベル賞の毎秋に村上春樹の解説書が出回る理由もそこなのだが、中原昌也も同様に、彼の作品を経験することは、だから、読んで頭を抱えることから始まるのだ。
所収の或(あ)る一編では、怪力の文芸誌編集者が雑誌の束を廊下に運ぼうとして呼び止められ、編集長の机の脇に戻す情景が語られる。戸惑うのは22ページの作品でその場面が11回も描かれることで、映画や音楽技法と関連づけて読み解きたくもなるが、執拗(しつよう)すぎる反復は、そんな“理解”が決定的な過ちであるような不安を惹(じやつ)起(き)する。
凶暴極まりない闖(ちん)入(にゆう)者を巡る一編では、男が不機嫌と暴力性も露(あら)わに「ブン殴って犯すぞ!」「用心しろ!」だけを繰り返し歌うが、その狂気も語り手に「命の危険を冒してまで聞く価値はない」と切り捨てられ、男は唐突に射殺される。「言葉でその悪化具合を表現することに、いったい何の意味があるのだろう?」とある一編では、与えられたその“解”を自ら嘲(あざ)笑(わら)うように、「そして状況は、さらに悪化した」の一文が、以降繰り返し挿入される……。
無意味の反復が意味を生じさせるかに見えながらその感触もすぐ打ち消されてしまう、そんな“乾いた途方に暮れ方”の経験が、中原作品を読む行為にはつきまとう。だがその経験こそ、読めば安易に感動できたり快楽に耽(ふけ)れたり主張が籠(こ)められたりと“使用法”ばかり大手を振る、今日の商業下の文学が見失った本質ではなかったか。“見も知らぬ他人(の言葉)を前に驚き途方に暮れること”−−無論それは一回性のもので、私(たち)がそう読むとき既に“中原昌也”はそこにはいない。本書を手に彼の現在を想い途方に暮れること自体、極めて“文学的”体験なのだ。