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【週末読む、観る】(2)『カーブボール』「欲しかった情報」を「事実」に (4/5ページ)
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【文芸時評】5月号
早稲田大教授 石原千秋
《意味に汚染された文学》
フランスの批評家アランは『芸術論』の中で、「すべての芸術は音楽に憧(あこが)れる」という意味のことを言っている。それは、音楽が直接的には「意味」を持たないからだろう。もちろん、音楽を聴いて「悲しい」とか「楽しい」とか感じることはある。しかし、それは音楽それ自体が意味しているのではない。音楽を聴いた人が勝手にそう感じるのだ。それに比べれば、他の芸術はなるほどずいぶん「意味」に汚染されている。つまり、日常的な現実とつながっている。文学はそのさいたるものだろう。それで、シュール・レアリズムのように、レコードにペンをくっつけてその振動が書いた(?)にょろにょろが無意識であるなんて言い張ったりすることになる。文学は「意味」から遠ざかるためにずいぶん苦労しているようだ。
筒井康隆「反復する小説」(新潮)は、筒井自身の実験作『ダンシング・ヴァニティ』(新潮社)の自作解説である。筒井の小説で実験作でないものはないのだが、『ダンシング・ヴァニティ』はまったく同じ一節が繰り返し現れる、つまり「反復」される奇妙な作りになっている。「意味」を読もうとすれば、迷路に迷い込んだ気分になるだけだ。そこで、筒井は「反復」こそが芸術のもたらす喜びであると、断固として主張する。それは「意味」から遠ざかるためだ。執拗(しつよう)な「反復」が、言葉をリズムに変えてしまうのである。これは、子供の喜びを見ていればわかることだ。子供は繰り返しを喜ぶ。筒井は、子供の喜びを形にすることに成功している。「小説のことは作者に聞くな」という信条を持つ僕も、筒井の主張には深く共感した。