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【青雲の大和】(201)新羅の砦 (1/2ページ)
国家の最高顧問たる国博士(くにはかせ)の玄理(くろまろ)が、はじめて三韓外交に乗りだすことが朝議で決まったのは、大化二年(西紀六四六年)の九月末である。
新羅(しらぎ)の国内で王位を転覆する企てが、ひそかに進められているという情報が、唐から急ぎ帰国した南淵請安(みなぶちのしょうあん)によってもたらされたからだった。
はじめ玄理はその情報の意味するものが、よくわからなかった。なぜ請安はみずから望んで唐にわたりながら、たった一年で帰ってきてしまったのか。それも、小国新羅のいわば国内問題にすぎないことを、わざわざ知らせに帰朝したというのである。
「国博士ともあろうものが、この重大さがわからぬか」
難波(なにわ)の港に迎えにでたとき、請安はいきなり咬(か)みつくようにあびせかけた。
新羅はいま、女王徳曼(とくまん)が王位にあるが、この女王を廃して、唐から新王を迎える策謀が、ひそかに進められているのだという。つまり新羅を唐皇帝の一族、あるいは臣下が支配する唐の属国に変えようとする動きである。
「もし、この企てが成功するならば、だ。唐は新羅を先兵にして、たちまち高麗(こま)を亡ぼし、百済(くだら)を征して半島を唐の領土に変えてしまうだろう。大唐の脅威がたちまち大和に迫ってくるというわけだ」
もとはといえば、三年まえに唐帝李世民(りせいみん)が新羅の使者にたいして、
−−隣国に侮られている女人の王を廃して、わが一族を新羅王とするならば、官兵を遣(つか)わして爾国(じこく)をまもってやるが、どうだ。
と、もちかけたのが、この密謀のはじまりだという。
「長安にいま、新羅から廉宗(れんそう)という者がきておる。この男が新羅の反女王派を代表して唐帝に会い、女王を廃したあと唐から新王をいただきたいともうしいれた。李世民はすでに、新王を新羅に送りこむ肚(はら)をかためている」