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【青雲の大和】(196)この日のために (1/2ページ)
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隣の控えの間(ま)からは物音ひとつ聞こえず、あたりは静まりかえっている。しかし、警護にあたる宿直(とのい)の者どもが眠っていないのは、気配でわかった。
「この文言、どこかでみたな」
灯火がじりじりと音をたてる夜更けの静寂(しじま)のなかで、玄理(くろまろ)は声を落としていった。日文(にちもん)が書いた文案のうち、
−−故重其禄、所以為民也、
というあたりである。
「漢書(かんじょ)だ、恵帝紀(けいていき)から引いた」
「そうか、そうだったな。しかし、日文よ、まさかきみ、脅しに屈したのではないだろうな」
「それ、どういう意味だ」
問い返す日文の顔がこわばっている。温厚な日文が、こんな表情をみせることはめったにない。
「いや、そうでなければさいわいだが、大化改新の公地公民制、つまり私地私民の禁止をきいて、大伴(おおとも)の当主でさえ、あのようにひどく動揺している。刺客がおそう恐れありと、われらに告げたのは、あれは一種の脅しではないか」
「そうかもしれぬ。しかし、それがどうしたというのだ。わたしがこの条項をいれたのは、脅しに屈したからでなければ、刺客を恐れたためでもないのは、四十年来の友として、おぬし、わかっておろうが」
日文の声は読経のように重く低くなって、ふるえを帯びている。
「いや、だから訊(き)いているのだ。なぜ、このような妥協的な条項をいれなければならないのか」
大夫(たいふ)(重臣)が民をよく治めるなら、それは民に益するから、禄(ろく)を重くするというのである。つまり公地公民制を宣言し、それにつづけて大氏族の執政権をみとめ、民衆が納めた税を俸給としてあたえて大氏族をまもるという案である。
「妥協的というなら、たしかに妥協的だが、しかし、これがなければやっていけないのではないか」