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【週末読む、観る】森洋子さんインタビュー&大森望さんの読書日記etc (4/5ページ)
野村純一著『昔話の旅 語りの旅』(アーツアンドクラフツ・2730円) 評・赤坂憲雄(東北芸術工科大学教授)
昔話研究に大きな足跡を残しながら、昨年、72歳で亡くなられた著者の遺作である。口承文芸学の構築という壮大なる夢をかかえながら、著者は実にたくさんの旅をした。昔話や語りの採集の旅であり、それは昔話の源流を求めて、中国やインドにまで広がっていた。この本には、そうした採訪の旅とともに書き散らされたエッセーが、長短合わせて20数編収められてある。
どれも、よく練られた文章である。抑えのきいた文体の底に、いくつもの発見がちりばめられている。はじめに置かれた「雪国の昔話」が、総論の役割を果たしている。なぜ、雪国はよく昔話を伝えてきたのか、という問いかけに始まり、伝承の風土としての東北にも光が当てられている。東北の自虐的なブラック・ユーモアに触れた一節など、広やかな世間を見ていた人の指摘として、関心をそそられる。
「むかしを語る」のは、小正月の晩などの特別のハレの時間であった。昼に「むかしを語る」ことには、厳しい禁忌があって、「ネズミが小便をかける」などと忌まれた。なぜ、ネズミなのか。これについては、幾編かのネズミにまつわるエッセーが解き明かしている。昔話のなかでは、ネズミと人間とは深い友好関係を結んでいた。ネズミは根の国からの使者と見立てられ、「鼠の浄土」が発想されたが、また福神とも見なされ、「鼠の嫁入り」が生まれた。この世と異郷とを行き交う、夜のモノゆえに、ネズミは昼に「むかしを語る」ことへの禁忌に絡んでいたのだ、という。
たとえば、昔話が何らかの宗教を背負った伝(でん)播(ぱ)者によって運ばれていたことが示唆され、天女の話の底に「食と性」をめぐる根源的なテーマが見いだされる。この小さな書物は、細部に眼を凝らす者らにたいして、いくつもの啓示に満ちた発見をもたらすにちがいない。それにしても、いまも昔話の旅は可能か、と呟(つぶや)かずにはいられない。
■のむら・じゅんいち 昭和10年、東京生まれ。国学院大卒。同大教授。平成19年、死去。