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【青雲の大和】(155)樹下の誓い (1/2ページ)
その日、南淵(みなぶち)の請安(しょうあん)の学堂から飛鳥に帰ると、玄理(くろまろ)は日文(にちもん)と別れたその足で、皇居内の東宮にいる鎌足(かまたり)のもとにでむいた。
これからはじまる改新事業の作戦本部というべき東宮の大広間は、朝に比べいちだんと活気をましていた。飛鳥の内外にちらばる朝堂(ちょうどう)から、優秀な人材がよびあつめられているのだが、その員数が夕刻になってまた増えているのである。
各朝堂からもちこまれてきた木簡(もっかん)、あるいは書巻の類が床に積みあげられ、若い文官が長机にへばりつくようにして、記録の整理にあたっている。これらはすべて新制度への基礎となるものである。
これまで朝堂では、日の出とともに出仕して、巳(み)の刻(午前十時)ごろまで仕事をし、昼には皆、帰ってしまっていた。しかしいま、もう日が暮れようとしているのに、だれも帰り支度をする者はいない。
やはり蘇我(そが)を打倒して改新政権を打ち立てた中大兄(なかのおおえ)と鎌足の熱情が、若い彼らの志に火をつけたにちがいなかった。
その鎌足は別室にいて、各部門の長から報告をうけていたが、玄理をみると、
「およびくだされば、わたしの方からうかがいますのに」
と、いって立ってきた。
「いかがでしたか、請安先生は」
「それがだ、なんと唐帝に高句麗征討をやめさせるために行くというのだ」
玄理がそのように報告すると、鎌足はおどろきもせず、
「玄理(げんり)先生からご覧になって、どうでしょう、いくぶんなりとも可能性はあると思われますか」
と、きいてきた。
「われわれには、三十年におよぶ留学でつちかった人脈がある。それを生かすことができれば、可能性はないとはいえない」
盟友、徐世勣(じょせいせき)の立場を危惧(きぐ)しながらも、そのように話すと、
「では、行っていただきましょう」