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【青雲の大和】(154)樹下の誓い (1/2ページ)
玄理(くろまろ)にも日文(にちもん)にも、砂金についてはいまだに忘れることのできない強烈な思い出がある。
聖徳太子によって留学生として選びだされ、隋にむかう船中でのことである。遣隋大使の小野妹子(おののいもこ)が八人の留学生全員に、革袋にはいった莫大(ばくだい)な価値の砂金を配ったあと、
−−この黄金(くがね)は、どなたからの授かりものであると思うか。
と、問うたのだった。
もちろん玄理は摂政(せっしょう)の聖徳太子がくだされたものだと思っていた。皆、そう信じているようだった。
しかし、説明にあたった鞍作(くらつくり)の通事(通訳)によれば、絶対的権力をにぎる大臣(おおおみ)、蘇我馬子(そがのうまこ)があたえたものだという。つまりは留学生を配下にとりこむための餌(え)である。
それを知って日文がまっさきに、
−−返す、
といいだし、玄理もそれに同調したのだった。
当時、玄理の実家はあすの糧(かて)にも事欠く貧しさで、隋の都で五年はゆうに暮らせるという眼の眩(くら)むような価値の砂金を突き返すのは、よほど勇気がいったが、蘇我にたいする身の潔癖さを保つためには、いたしかたがなかった。
ところが請安ときたら暢気(のんき)なもので、
−−おれはもらっとく、
といって取りこみ、ずっとのちには隋、唐の当局者から情報をひきだすための賂(まいな)いに使ったり、勉学が進まず自棄(やけ)になって飲んだくれるさいの酒代にしていたようである。
「請安よ、おぬし、まさかあの味が忘れられないのではあるまいな」
唐に渡るに、砂金二袋の巨額の渡航費を要求する請安にたいし、日文がなかば冗談めかしていうと、
「なんだと、おれは死を賭しているというのがわからんのか」
と、眼をむいて怒りだした。
「わかった、その覚悟はいいとしよう。しかし生まれたばかりの政権だ、砂金二袋は出ないぜ」