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【青雲の大和】(152)樹下の誓い (1/2ページ)

2008.3.26 13:45
このニュースのトピックス青雲の大和

 請安(しょうあん)が青年のように瞳を輝かせてその名を口にした瞬間、玄理(くろまろ)の眼に黄河(こうが)を見晴るかす瓦崗(がこう)の丘の雄大な風景がうかびあがってきた。

 盟友、徐世勣(じょせいせき)とはじめて会ったのが、この丘のうえである。遣隋(けんずい)大使の小野妹子(おののいもこ)にひきいられ、留学生として隋に渡ってまもなくのころだった。

 丘のうえには隋に反逆する義賊、瓦崗賊(がこうぞく)の砦(とりで)が築かれていた。徐世勣は十代にして、その瓦崗賊の副将となり、黄河や大運河を行き来する官船を襲って暴れまわっていたのである。

 玄理らが徐世勣と知りあうきっかけとなったのは、小野妹子の通事(通訳)である鞍作福利(くらつくりのふくり)が失踪(しっそう)したことからだった。鞍作の通事が瓦崗の砦にいるという情報で、玄理と請安は乗りこんでいったのだが、そのとき応対にでてきたのが副将の徐世勣だった。 

 もう三十年以上もまえのことである。若かった、と思う。大河がうねり、地平に白い雲がわく丘のうえで、たがいに夢中になって未来への夢を語りあった。

 隋を倒し新王朝を建て、天下の大将軍となって悪党をたたきつぶす、というのが徐世勣の夢であり、学成れば大和に帰って、皇位についておられるであろう聖徳太子のもとで、理想の国づくりをはじめるというのが、玄理の抱く青雲の志だった。

 徐世勣はその後、唐の李世民(りせいみん)から李姓を贈られるという破格の待遇をうけて唐軍にひきぬかれ、いまは、

 −−李世勣(りせいせき)

 と名乗って、唐帝の配下についている。

「だから唐へ行けば、おれはまず徐世勣に会う。徐世勣を動かして、高句麗征討をやめるよう唐帝を説得させるのだ」

 請安は確信ありげにいった。

「さいわい、唐帝李世民は部下の進言には、かならず耳をかたむけるといわれている。いまはもう、徐世勣が唐の中核の大軍を指揮する地位についているだろうし、その大将軍が諫(いさ)めるのであれば、帝もきかざるをえまい」

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