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【青雲の大和】(149)樹下の誓い (1/2ページ)
「旻師(みんし)はいかがでありましょうか。われらがなした樹下の誓い、どうご覧になったかということだが」
蘇我(そが)を打倒したあと、叔父の軽皇子(かるのみこ)の即位と、「大化」の建元をなんなく実現させた中大兄(なかのおおえ)は、師に勉学のできばえでもきくように明るく声をはずませて問いかけた。
「わたしは槻(つき)の木のまえにいて、二十年近くまえのことを思い起こしておりました。ちょうど皇子(みこ)がお生まれになった年ではないかと思いますが、唐の年号にいう武徳(ぶとく)九年の八月九日、唐帝李世民(りせいみん)が即位したときのことであります」
日文(にちもん)がまた、なにをいいだしたのか、と玄理(くろまろ)は思った。李世民が皇太子だった長兄と末弟を殺して権力を握った、いわゆる玄武門(げんぶもん)の変については、はっきりとおぼえているが、即位の日に首都長安でなにがあったか、玄理の記憶はさだかでない。
「その日、わたしどもは長安の皇城(こうじょう)内にあります留学生の宿舎におりましたが、あの唐帝李世民の即位式がおこなわれているとは、まったく知りませんでした。留学生だからというのではありません。庶民はもちろん、官吏の多くも知らなかったのです」
玄理が即位式があったのを知ったのも、かなりのちだった。李世民は父の李淵(りえん)を押し立てて事実上、唐の大帝国をつくりあげた建国の英雄である。その皇帝権力を誇示するためにも、即位の式典はとうぜん長安の太極宮(たいごくきゅう)で外国使節や留学生をまねき、華やかに大々的におこなわれるものと思っていたが、実際は東宮の建物のなかで簡素なかたちばかりの式をすませたにすぎない。
「元号を貞観(じょうがん)にかえたときもそうでした。翌々日に臣下とともに、ささやかな宴をもうけただけで、ほとんどなんの式典もあげておりません」