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【青雲の大和】(148)樹下の誓い (1/2ページ)
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玄理(くろまろ)が日文(にちもん)とともに、国博士(くにはかせ)として活動をはじめたのは、それから五日後の六月二十日だった。
大和の国の年号がはじめて公式に定められ、
−−大化(たいか)元年
として公布された、その翌日である。
早朝、迎えの馬で玄理が皇居板蓋(いたぶき)の宮に参内すると、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の東宮は、改新政権の戦略を決定する司令部に変わっていた。
鎌足(かまたり)がひきぬいてきたにちがいない若手の文官が、はやくも朝堂で詔勅や命令文を作成する準備にかかっている。回廊からみわたしたところ、二つの広間にそうした者が三十人はいた。
「さっそくのお出ましで、おそれいります」
鎌足が中大兄の居室から出てきて立礼し、国博士専用の部屋へ先導していく。
夏むきの簾(すだれ)をはった部屋には、日文が先にきていて経机(きょうづくえ)をまえに、史書らしい黄巻(こうかん)を紐(ひも)といていた。
背後には、炎上した甘樫丘(あまかしのおか)の蘇我(そが)邸からもちだされてきた国記(こっき)が、紫の袱紗(ふくさ)に包まれ並べられている。
大和の国の史書である天皇記、国記は、二十数年まえに聖徳太子が発議され、編纂(へんさん)されたものである。それがいま、ここにあるということは、この改新の大業が太子の改革をひきついでいることをあらわしているのではないか。
玄理が座について、そのように考えていると、回廊に足音がして中大兄が従者もつれずやってきた。