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【青雲の大和】(141)樹下の誓い (1/2ページ)
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高向玄理(たかむこのくろまろ)が日文(にちもん)とともに皇居板蓋(いたぶき)の宮によばれたのは、六月十五日のあさだった。
蘇我(そが)権力が中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)によって打倒されてから、まだ二日しか経(た)っていない。皇居の周辺では武装した大伴(おおとも)の部隊が、なお警戒にあたっているなかでの参内(さんだい)となった。
二人にさしまわされてきたのは、重臣用の鞍(くら)付きの馬である。衛兵が轡(くつわ)をとり、皇居南門にいたる道を日文につづいて玄理がゆったりと進んでいく。
うしろから新たに重臣に任命された者が、やはり朝廷さしまわしの馬で参上してきていた。道の両側には民衆が人垣をつくって、つぎつぎと登場してくる新政権の顔ぶれに、物見高い眼をむけている。
中大兄と鎌足が玄理、日文の二人に用意した肩書は、
−−国博士(くにはかせ)
というものであった。いわば国家の最高顧問であり、これからただちに取り組まねばならない改新の大業の立案と指導にあたる重職である。
玄理のところには昨夜、鎌足からの使いがきて就任の打診があった。玄理としては、これをやるために唐から帰ってきたようなもので、
「よろこんでお受けする」
との返答を使いの者にもちかえらせた。
旻師(みんし)と尊称されている日文も同様である。
ところが、同じく国博士への就任要請をうけた南淵請安(みなぶちのしょうあん)は、
「考えるところがあってお断りしたい」
と答えたらしい。
−−請安がまた、なにをいいだしたのか。
と、玄理は思うが、まだその心中はきいていない。