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【青雲の大和】(134)大義はわれに (1/2ページ)
堅牢(けんろう)な城郭のような甘樫丘(あまかしのおか)の蘇我(そが)邸に着くと、邸内から蘇我勢を代表して高向国押(たかむこのくにおし)と田口川堀(たぐちのかわほり)が倭漢(やまとのあや)の者どもをひきつれて門の外まで出迎えていた。
両側に武装した蘇我兵が槍を突き立てて並んでいる。白壁に小窓が穿(うが)たれたなかでは、弓をかまえた男たちが外をねらっている姿がちらちらとみえた。
入鹿(いるか)の遺骸(いがい)をいれた棺(ひつぎ)は、皇居からきた四人に担がれていき、国押と川堀のまえで路上に降ろされた。
松明(たいまつ)をもった兵が駆けより火をかざすと、国押がゆっくりと歩みよってきた。
なかをみた国押の顔が一瞬にゆがんだ。
「だれが殺(や)ったのか」
怒りのにじむ声でいった。返答によっては相手をこの場で斬殺せんばかりの激しさである。
国押は三韓進調(しんちょう)の儀がはじまる直前に、勝麻呂(かつまろ)ら三人が回廊わきの小部屋にひそんでいたのをみている。勝麻呂の報告では、そのとき子麻呂(こまろ)、網田(あみた)にあたえた襲撃用の剣をみられてしまったということであった。百済(くだら)人に不穏な動きがあるためとして、勝麻呂は言い逃れたらしいが、いまこうして入鹿の斬殺された無残な姿をみれば、皇居正殿でなにが起きたか、たちどころにわかろうというものである。
鎌足(かまたり)は釈明するつもりはなかった。子麻呂、網田が百済に買収されていたといえば、いくばくかの時間はかせげるかと思えたが、もういまとなってはそんな詐術を使いたくない。
入鹿を殺したのはわれである。謀略により友を死に至らしめたのはわれである。胸中そうくりかえしてきた。
が、鎌足の心情からすれば、さらに一つのことばが、つけくわえられねばならなかった。
−−この謀略には大義がある、と。