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【青雲の大和】(130)決行 (1/2ページ)
ふたたび法興寺(ほうこうじ)の南大門があくと、夕闇のなかに大君(皇極天皇)の弟君である軽皇子(かるのみこ)の騎乗した姿があった。
黒い朝衣(ちょうい)の舎人(とねり)ら数人が両側にわかれて拝礼するなか、軽皇子はかつかつと馬をすすめてくる。
うしろにもう一人、騎乗の人物がついてきていた。朝廷での序列第二位というべき重臣、阿倍内麻呂(あべのうちまろ)である。
子麻呂(こまろ)はあわてた。
五十人の守備兵全員に平伏させてから、帷幕(いばく)の鎌足(かまたり)のもとへ走った。
軽皇子は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の叔父(おじ)であり、以前から鎌足がその館(やかた)に繁々(しげしげ)と足をはこんでいるのを知っている。
中大兄と鎌足が蘇我(そが)打倒に立ちあがったいま、その陣営にみずから駆けつけてこられるのもわからないではなかったが、子麻呂が驚いたのは、阿倍内麻呂が従ってきていることだった。
子麻呂にとっては雲の上の人ではあるが、この人物を決して快く思っていなかった。きくところによると、若いころあの蘇我馬子(うまこ)にとりいって側近になり、馬子の死後、蝦夷(えみし)の時代になると、蘇我勢の推挙によって、重臣の筆頭の地位についたとされる人物である。阿倍氏といえば蘇我などより、はるかに古い皇族系の家柄であるにもかかわらず、まるで蘇我の配下のようになりはてているのが、子麻呂には我慢ならなかった。
しかし、鎌足にはべつの判断があったと思われる。好悪や正邪をこえていま、この人物を陣営にひきいれることがどれほど大きな利をもたらすかということである。
なにしろ蘇我系以外では、朝廷の第一人者である。これ以上、朝政に重みのある人物はいない。山田麻呂(やまだのまろ)と巨勢徳太(こせのとこだ)をとりこむことで蘇我勢を分断した鎌足は、阿倍内麻呂を味方につけることによって、蘇我系以外のすべての氏族をだきこむ態勢をつくりあげたにちがいなかった。