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【青雲の大和】(127)決行 (1/2ページ)
このニュースのトピックス:青雲の大和
大市(おおち)の宮の警護を兼ねて、古人大兄(ふるひとのおおえ)を監視する役を網田(あみた)にまかせ、子麻呂(こまろ)が馬を馳(は)せて飛鳥にもどってみると、皇居のまわりに信じられない光景が展開していた。
すでに日が暮れ、顔もさだかでないなかで、黒い衣冠をつけた者どもがぞくぞくと板蓋(いたぶき)の宮の南門にあつまってきているのである。
剣を帯びた者がいる。古い鉾(ほこ)をもちだしてきている者もいた。が、多くは無腰で、鎧(よろい)をつけている者はだれ一人みあたらない。
はじめ子麻呂は、蘇我(そが)系小氏族の寄せあつめであろうとみた。権力者、蘇我入鹿(いるか)が倒れたのを知って、あわてて馳せ参じたのであろうと。
「おい、あの者どもはなんだ」
南門をまもる部下の衛兵にきいた。
「はい、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が起(た)たれたときいて、あつまってきている者であります」
「なんだと。それ、だれが知らせた」
「だれがといって、皆、知っていますよ」
子供っぽい顔の衛兵は、眼をかがやかせていった。
二日間は情報操作で混乱させる必要があるとみた鎌足(かまたり)の予測をこえて、情勢はすでに激動しているようである。
そういえば、皇居西側の飛鳥川のほとりから甘樫丘(あまかしのおか)まで、道の両側に立って警戒にあたっていた蘇我兵は、皆ひきあげてしまっていた。丘のうえの蘇我邸を固めよ、との指令がでたにちがいなかった。
「中大兄皇子はどこにおられるか、きいていないか」
まさかと思いながら尋ねてみると、ぱっと答えが返ってきた。
「皇子はここ南門をでて、法興寺(ほうこうじ)に移られました」
「法興寺に? なぜだ」
「蘇我打倒の本営をかまえられるということでした」
若い衛兵は頬を紅潮させていった。