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【青雲の大和】(93)契りの朝 (1/2ページ)
「なにをいうんだ」
子麻呂(こまろ)は佐保(さほ)の肩をつかんで、小さな光を灯している瞳に見入った。
「逃げる? どこへ、だ。いったいどこへ逃げようというんだ」
叱(しか)りつけるようにいいながら、子麻呂は内心ひどく動揺しているのを知った。
「一族の者が因幡(いなば)にいるの。因幡まで逃げたら、もうだれも追ってこられないわ」
佐保は曽禰(そね)氏の当主の娘である。曽禰は小氏族とはいえ、出雲(いずも)や伯耆(ほうき)、因幡に拠点をもっている。そのひとつに逃げこもうというのである。
佐保はしなやかな腕を伸ばし、動揺してみつめている子麻呂を裸の胸に抱きよせた。
「死んではいや。あなたが死んだら、もうわたしは生きられない。ね、逃げましょう。夜があけたら、すぐ旅の支度をさせます」
佐保の胸に顔をうずめ、佐保の声をききながら子麻呂が考えていると、さらに、
「あなたはなにもしなくていいのよ。わたしを抱いて馬に乗せて、因幡にむけて走ってくださったらそれでいいの」
と、意外に落ちついた声で佐保はいった。
この三日のあいだ、佐保を抱き、愛のことばを交わすあいまに、子麻呂はいま起きていることを切れ切れにつたえたつもりだが、佐保はすべてをちゃんと筋道立てて理解していた。
理解したうえで、逃亡の方法を考えていたのかもしれなかった。
「それとも、供(とも)の者をつけましょうか」
子麻呂が道中を不安に思っているとみたのか、佐保はそんなことまできいてきた。手はやさしく、子麻呂のうなじをなでている。
「いや、いい」
子麻呂は佐保の胸に顔をうずめたまま、うめくようにいった。
「それはいいが、しかし……」
いま、子麻呂が逃げてしまったら、あとはどうなるのだろうか。
三韓進調(しんちょう)の日にむけて、決起のための準備が着々と進みつつあった。すべては鎌足(かまたり)の頭脳からしぼりだされたものである。