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【青雲の大和】(92)契りの朝 (1/2ページ)
夜半に目覚めると、近くの川の岩間から河鹿(かじか)が鳴いているのがきこえてきた。開け放した庵(いおり)の窓辺に淡い月の光がさしこみ、佐保(さほ)の寝顔を仄白(ほのじろ)く浮かびあがらせている。
子麻呂(こまろ)の傷ついた肩に、佐保の手がやさしくかかったままの姿で、ふたりはつかの間の眠りに落ちたのだった。
耳元で佐保のやわらかい小さな寝息がきこえ、それに重なって河鹿の声が、月影に琴をかなでるようにつたわってくる。
−−行かねばならぬ、
と、子麻呂は思った。ここは春日(かすが)の西方、奈良山(ならやま)に近い里で、飛鳥の皇居板蓋(いたぶき)の宮へ出仕するには、馬を馳(は)せても半日はかかる。
おそらく勝麻呂(かつまろ)と網田(あみた)は、とつぜん姿を消した子麻呂のゆくえを捜すのに、やっきになっているにちがいなかった。
むろん逃げだしたのではない。その日がくれば死を覚悟しなければならない立場にあるのを知ったとき、突如として狂おしいほど佐保への思いが募り、宮廷の馬を借りだして未明の道を駆けつづけに駆けてきたのである。
それからもう、三昼夜になる。
朝がきたと思うと、すぐ夜がきた。夜がきたと思うと、いつのまにか夏の空が白々と明け初(そ)めていた。佐保とふたり、ただ抱きあったまま夜をむかえ、朝をむかえた。それ以外に、ほとんどなにもしていない。
やがて佐保のしずかな寝息がとまり、うっすらと眼があくと、熱い頬をよせてきた。
「もう、もどってこられないかもしれない」
子麻呂はいった。別れのことばを口にしたのは、はじめてだった。
佐保は顔をあげ、暗がりのなかで子麻呂の眼をのぞきこんだ。瞳が月影をやどしてゆれている。
「なにをいうの、行かないで」
激しく覆いかぶさるように抱きつくと、佐保の押し殺した声が耳にふきかかってきた。
「行ったら殺されるわ。きっと殺される」