ニュース: 文化 RSS feed
【青雲の大和】(88)契りの朝 (1/2ページ)
翌日、夏の日が沈み、皇居の宮門が閉ざされると、子麻呂(こまろ)は同僚や部下に知られないように、こっそりと持ち場をぬけだし、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の館(やかた)に忍んでいった。
広間に独り海犬養勝麻呂(あまのいぬかいのかつまろ)の姿があり、剛直な顔にいらだちをみせて立っていた。
「遅いっ、網田(あみた)はどうした」
「もう、おっつけまいりましょう」
「そんな悠長なことで大事はなせぬぞ。きょうからわれが、きさまらを鍛える」
のっけからまくしたててきた。宮廷警備隊の副将として、勝麻呂は子麻呂らのうえに立つ上司である。いつ反蘇我(そが)の闘将になったのか、たぶん鎌足(かまたり)がひきいれたのだろうが、子麻呂はこの男の変貌ぶりにわが眼をうたがう思いである。
「これをもて」
勝麻呂は棒を荒削りした木刀を両手にさげてきて、一本を子麻呂に握らせた。
「これでわれに打ちかかってこい」
そういったとき、網田が大きな体を縮めるようにして広間にはいってきた。
「遅いっ」
勝麻呂はまた怒鳴りつけ、木刀の一本を網田にわたした。
「これは?」
「きさまらは、たった一本の剣で蘇我を倒さねばならぬ。われが相手をしてやる。容赦はいらん。われを敵とみて打ちかかってくるのだ」
そういうと、勝麻呂はきのう中大兄がすわっていた一段高い主座に、おそれげもなく木刀をもって突っ立った。
きのうと同じく、正面の三か所に灯火が燃えている。中大兄がいる本館と離れているせいか、物音ひとつしない静けさである。
「鎌足どのはきさまらの腕を買っておられるようだが、われからみればまだ、ひよこだ。網田、まずおまえからだ。そこから突進して打ちかかってこい」
網田はまだよく呑(の)みこめていないのか、木刀をさげてぼんやりと立っている。
「ばかもん、なにをぼやぼやしている。走れ、体ごとぶっつけてくるのだ」