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【青雲の大和】(84)死を賭して (1/2ページ)
津守(つもり)は外交を担当する者として、皇居板蓋(いたぶき)の宮の朝堂に出仕する日が多いが、いわれてみれば確かに板蓋の宮は警備がゆるやかである。
各門は一人の武官を隊長として四、五人からなる小隊がまもっているが、昼間はほとんど尋問をうけることもなく、素通りだった。
隊長のうち佐伯子麻呂(さえきのこまろ)と若犬養網田(わかいぬかいのあみた)は、すでに鎌足(かまたり)の郎党になってひさしい。公務が明ければ、すぐ鎌足の警護につき、夜間外出することでもあれば、ぴったりと後ろに従っている。
最近ではもう一人、宮廷警備隊の副将格の男を鎌足は同志としてひきいれ、主として中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の身辺警護にあたらせているようである。
つまり皇居警備の副将、隊長のうち三人までを蘇我(そが)打倒のときに備えて、鎌足は自陣にひきいれてしまっているのである。
それにくわえ、総責任者である蘇我系の大物、高向国押(たかむこのくにおし)が蘇我ではめずらしく誠実なひとがらのまじめ人間で、入鹿(いるか)が山背大兄(やましろのおおえ)と太子一族を討てと命じたときは、皇居警備の任務を理由に敢然とこれをはねつけている。
したがって板蓋の宮は、蘇我権力がおよばない状態にあるといっていい。鎌足はこの空白の場に蘇我打倒の舞台を設定しようとしているのである。
皇居板蓋の宮にくらべ、蘇我の大邸宅がある甘樫丘(あまかしのおか)と畝傍山(うねびやま)の山麓は、大陸の城郭をみなれている津守でさえ、恐怖をもよおすほどの厳重な警戒態勢がしかれている。入鹿は蘇我革命のときにそなえ、これらの邸宅を蘇我の宮城にするつもりであるにちがいない。
もし鎌足が中大兄を奉じて決起しようとするなら、入鹿をこの警戒きびしい蘇我の城からひっぱりださねば、なにごともなしえないのは明らかだった。
−−入鹿を蘇我邸から誘いだし板蓋の宮へ、