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【青雲の大和】(83)死を賭して (1/2ページ)
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津守(つもり)がいまの大君を拝したのは、一度しかない。勅使として高句麗(こうくり)へ派遣されることになり、任命式が皇居でおこなわれたときである。
普通、こういった式はかたちだけで、天皇の詔(みこと)のりをだれかが代わりに告げて終わり、ということが多い。ところがこのときは、大君みずから任命のことばを述べられ、さらに正殿の玉座を降りてこられ、津守ほか三名が拝跪(はいき)するまえで、一人ひとりに声をかけられた。
まだ即位して一か月にしかならず、女帝としての気負いがおありだったのかもしれないが、とくに津守に告げられたことをその後、思いおこすたびに、津守は異様な思いにうたれるのである。
まちがいなく大君は、高句麗でおきた政変を知っておられた。その情報がとどくはずのないころであるから、予知されていたというほうが正しいかもしれない。
−−高麗(こま)はいま、たいへんなことになっているようだから、心してことにあたるように。
そういう意味のことをいわれたのだが、実際行ってみれば、国王は殺され重臣だった泉(いり)蓋金(かすみ)が権力を掌握してすべてを動かしていたのである。
津守の留守中に、大君はもうひとつ、特異な能力を国民のまえに示しておられる。
その夏は六月中旬から七月末まで、雨が一滴もふらず、国中にひどい干魃(かんばつ)が予想された。各地で大々的に雨乞いの儀式がおこなわれたが効果はなく、大臣(おおおみ)の蘇我蝦夷(そがのえみし)は大寺院に僧侶をあつめ、仏像、四天王像をまえにして読経させた。しかし、ほんのわずか、お湿りていどの雨がふっただけで、七月末で雨乞いはすべて取り止めとなった。
女帝がみずから乗りだされたのは、そのあとである。
−−わたしが天に祈れば、かならず願いがかなう。