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【青雲の大和】(82)死を賭して (1/2ページ)
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皇居での三韓進調(しんちょう)の儀式に、津守(つもり)は外交でならした腕をふるって、ほぼ見通しをつけたつもりだが、どうにも気になることが残っていた。
挙行の日を六月のいつに設定するかという問題と、もうひとつ、これは津守の力の及ぶところではないが、はたしてこの重大な儀式の場に天皇の臨席を仰げるのかということである。
期日については百済(くだら)、高句麗(こうくり)に、
−−追って知らせる。
としているので、津守としてはできるだけはやく決めてもらいたかった。
「いかがでしょう、板蓋(いたぶき)の日は」
館(やかた)の庭のかがり火に照らされて、ゆうぜんと座している鎌足(かまたり)に、津守はきいてみた。板蓋の日というのは、式典挙行の日、つまり決行の日をさしている。
「いまのところ、戊申(ぼしん)ということで蘇我(そが)の了解をとってあります」
戊申の日、つまり六月十二日である。こう告げるときも、鎌足の顔は平静なままだった。内心には不安もあり、決行への覚悟もあるのだろうが、それがまったく表情にあらわれないところが、若いこの人物の凄みであろうと思えるのである。
「ということは、入鹿(いるか)が応諾したとみてよろしいか」
津守はもう一歩おしてみた。
鎌足は静かにうなずいた。
とすれば、この人物は同門の学友である当の相手の権力者にたいし、すでに運命の日を通告していることになる。
津守は二十数年まえ、絶対的権力をにぎっていた大臣(おおおみ)の蘇我馬子(うまこ)を倒すために、ひそかに活動していたころのことを思い起こした。