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【青雲の大和】(75)死を賭して (1/2ページ)
ひさしぶりに仰ぎみる三輪山(みわやま)は、匂うばかりの新緑におおわれていた。神々がやどるという峰はみるからにおおどかで、世の激動に少しも揺らぐところはない。
この地に住んでいた同志の三輪文屋(みわのふみや)を訪ねてきたのは、何年まえだったか。斑鳩(いかるが)の太子(聖徳太子)を奉戴(ほうたい)して蘇我(そが)を倒し、大和の改革をなしとげるという熱情に、若い津守(つもり)の心はもえていた。
いま、この世に太子の御姿(みすがた)はむろんなく、三輪文屋も太子の子息、山背大兄(やましろのおおえ)に殉死するかたちで、蘇我兵に包囲された法隆寺境内で自死を遂げた。かつての同志たちで生き残っているのは、津守ひとりである。
長い雌伏する歳月がすぎ、いままた戦いのときがもどってきたのを津守は、全身の戦慄(せんりつ)をもって感じとっている。
いまはその第一歩だった。蘇我打倒のための極秘の作戦は、きょう四月甲子(こうし)(二十七日)をもってはじまるのである。
大三輪(おおみわ)神社をすぎ、三輪山の北の裾野(すその)にむかうと、百済(くだら)から人質として送られてきた王子、余豊(よほう)のために大和側が建てた館(やかた)がみえてきた。この広い邸内に津守がきょう、会わなければならない人物がひそんでいる。
「われは津守の連(むらじ)、大海(おおあま)ともうす者、さきの遣高句麗(けんこうくり)大使である」
館の門をはいり玄関に立って、応対にでてきた余豊の従者に告げた。従者は百済から余豊についてきた侍従である。
「これはいかなるご用むきか存じませぬが、わが王子はどなたにもお会いになりませぬ」
なめらかな大和ことばだった。
「いや、お会いしたいのは王子ではない。ここに佐平(さへい)の縁福(えんふく)どのがみえているであろう。これへ呼んでいただきたい」