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【青雲の大和】(73)盟邦の危機 (1/2ページ)
−−急がねばならぬ。
道登(どうとう)の報告をきいて、玄理(くろまろ)は思った。
いまは三月、唐帝李世民(りせいみん)の軍勢は、すでに国境の遼河(りょうが)をわたり、高句麗の王都、平壌にむけて進撃を開始しているのではないか。
李世民がいかに恐ろしい人物であるか、玄理は知っている。隋の煬帝(ようだい)とは、帝王たる資質からしてちがう。いわば稀代の英主であり、大帝国をつくりあげるために生まれてきたような人物である。
もう二十八年にもなるのが信じられないのだが、はじめて李世民の馬上の姿をみたときの衝撃を玄理は忘れてはいない。
あのとき李世民は、まだ二十歳だった。その若さで二十万の大軍をひきい、隋の首都、長安に乗りこんできたのだった。
玄理は日文(にちもん)、請安(しょうあん)ら留学生仲間と首都の街路の路傍で、馬上の李世民を仰ぎみた。まばゆい黄金色の軍旗にかこまれ、父親ほども年のちがう将らを従え、若々しい顔に笑みを浮かべて、ゆうぜんと彼は馬を進めてきた。まるで天上から照明をあてられたような姿を眼にして、玄理はこの若者がいずれすべてを奪ってしまうであろうことを確信した。
そしていま、四十八歳になった李世民は、あの煬帝がなしえなかった高句麗征討にみずから乗りだしてきたのである。
高句麗留学生、道登(どうとう)の報告では、高句麗を討つことの正当性を帝はいろいろと挙げているらしい。しかし玄理のみるところ、地上のすべてを皇帝たる自分に従わせたいだけなのだ。その意味では、煬帝が抱いた野望となんら変わるところはない。
ただ、煬帝とちがうのは皇帝としての李世民の英邁(えいまい)さである。貞観(じょうがん)の治とよばれる理想の政治を演出してみせ、そこに培われた国力をもっての征討、侵略であれば、高句麗がもちこたえられようはずがなかった。