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【青雲の大和】(64)政略の夜 (1/2ページ)
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翌朝はやく、鎌足(かまたり)は宮中にある中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の居室にでむいていった。
南淵(みなぶち)の学堂へでかける日を待っておれなかった。皇子(みこ)にとってはじめての求婚が、いきなり拒絶されたのである。
それも、ふつうの意味の婚姻ではない。蘇我(そが)打倒と国家改新の高い志にもとづいて仕組んだ政略である。それが破綻したとなれば、策をねりなおす必要があった。
皇居板蓋(いたぶき)の宮の南門をはいると、警備についていた佐伯子麻呂(さえきのこまろ)が鎌足の姿をみて近寄ってきた。
「どちらへ」
小声である。
「皇子に」
鎌足もまた声を落としていった。
「ご案内いたしましょうか」
「いや、いい」
「お気をつけて」
それだけいって、子麻呂は持ち場へかえっていった。
鎌足が板蓋の宮にでてくることは、めったにない。いまだ官位についていないからである。十年ほどまえ、神官にされかけたのを断ってからずっと自由の身で、ここ一、二年はいわば国事に奔走してきた。
その鎌足が宮中にあらわれたのである。勘の鋭い者なら、なにかを感じとっていいはずだが、鎌足は恐れてはいなかった。
もし、蘇我の分家から中大兄に妃(みめ)を入れる工作をつづけていることがもれたとしても、蘇我のために蘇我と天皇家をむすびつけようとしているのであると、言い訳ができるからである。そのうらに蘇我勢分断の陰謀が隠されているとは、だれも気づいていないし、気づかせてはならなかった。
中大兄はいまは宮中に独立した館(やかた)を建てさせて住んでいる。もし皇太子になれば、ここが東宮(とうぐう)ということになる。
鎌足が訪れたとき、中大兄はまだ朝餉(あさげ)が終わっていなかった。
「おう、いやにはやいではないか」