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【青雲の大和】(61)政略の夜 (1/2ページ)
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中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は玄理(くろまろ)の顔に若い瞳をむけている。
−−あのころの思い、
と、玄理はいったが、むろん鎌足(かまたり)には、彼ら留学生の往年の心情まではわからない。
「じつはきょう、こちらへ寄せていただいたのは、わたしどもから皇子(みこ)にお話しもうしあげるべきときがきたと、そのように考えたからであります」
玄理がいった。どうやら玄理、請安(しょうあん)、旻師(みんし)の三人が打ち合わせ、中大兄が学堂にやってくるのを待っていたようである。
玄理はつづけた。
「唐帝李世民(りせいみん)は、弱冠二十歳にして父を担ぎあげ、事実上、隋打倒をなしとげました。そして、あの玄武門(げんぶもん)の変で権力をにぎり、改革を断行して、貞観(じょうがん)の治とよばれる理想の時代を築きつつあります。じつの兄弟をも殺して権力をうばうその手法を、わたしどもは決して是としてみとめるものではありません。しかし、改革を断行し理想を実現するためには、ときには力を、あるいは策謀をもちいざるをえないのではないでしょうか。その点でいまは、唐帝を見習わなければならない、そう思うしだいであります」
鎌足は知らなかったが、三人はあの斑鳩(いかるが)の太子(聖徳太子)の治世のもとで大和の改革に身を捧(ささ)げようとして隋、唐で勉学にうちこんできたのだという。
しかし鎌足のみるところ、太子の理想は蘇我(そが)の妨害でなにひとつ実現することなく終わった。つまりは太子に、理想のために敵を討つ悪辣(あくらつ)なまでの戦略がなかったからにほかならない。「和」というものを重んじられた太子の、これが限界ではなかったか、と鎌足は思うのである。