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【青雲の大和】(52)闘士帰る (1/2ページ)
ゆるやかな坂道をのぼり、甘樫丘(あまかしのおか)の高みに達すると、はるか西方に畝傍山(うねびやま)がかすんでみえた。
津守(つもり)はまだ見ていないが、蘇我(そが)は畝傍山の東側にも城郭じみた大邸宅をつくりあげているらしい。
おどろくべきは、この邸宅には水をたたえた濠(ほり)がめぐらされているということである。
なんのためかは、問うまでもない。防備のためである。敵勢の攻撃にそなえるということであろう。げんに邸内には武器庫がもうけられ、弓矢や鉾(ほこ)、槍の兵器(つわもの)が大量に保管されているといわれている。
濠をふかくし、武器庫をもうけ、さらに五十人ほどの兵が連日、蘇我邸をまもる訓練をつづけているというのである。
おそらく蘇我が想定しているのは、斑鳩(いかるが)の宮を急襲し焼き打ちしたあの事件が、攻守ところを替えてわが身にふりかかってくる場合であろうと思われる。
しかし、ここで津守の思考は、停止せざるをえない。
斑鳩の宮を急襲したのは蘇我勢である。権力をにぎる入鹿(いるか)が指令したからこそ、巨勢徳太(こせのとこだ)を総大将とする大部隊が斑鳩の宮に襲いかかったのである。
その蘇我勢を相手に、いまどんな勢力が戦いを挑めるというのだろうか。蘇我一族の住まう大邸宅に対し、いかなる部隊が襲撃をしかけられるというのか。
蘇我馬子(うまこ)がまだ完全に権力をにぎっていなかった往時であれば、あるいは物部(もののべ)勢に急襲され、蘇我が亡ぼされるという事態もありえた。
しかし、いまはない。この大和の国のどこをさがしても、蘇我を倒せる力をもつ者は存在していない。にもかかわらず、蘇我のこの防御はいったい、なぜなのか。
そこまで考えて、畝傍山にむけていた視線を飛鳥にもどしたとき、淡い冬の日をうけて皇居板蓋(いたぶき)の宮がくすんだように殿舎を並べているのがみえてきた。