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【青雲の大和】(50)闘士帰る (1/2ページ)
蘇我入鹿(そがのいるか)と泉蓋金(いりかすみ)、この二人はたしかに似ている、と津守(つもり)は思っている。
入鹿は山背大兄(やましろのおおえ)を殺害するため斑鳩(いかるが)の宮を急襲し、さらに法隆寺を蘇我兵で包囲して一族もろとも亡ぼしてしまった。
漢名では、泉蓋蘇文(せんがいそぶん)とよばれる泉蓋金は、王宮で栄留(えいりゅう)王を殺し、重臣ら百余人を自派の軍団に命じて殲滅(せんめつ)せしめている。
入鹿が大臣(おおおみ)の地位を父蝦夷(えみし)からゆずられるかたちで全権をにぎったのにたいし、泉蓋金は宰相の地位にみずから就任して権力のいっさいを掌握した。
津守からみて、その手法のあくどさ、非情さもさることながら、君主を土偶でもあつかうように軽視して突きすすむ姿勢も、この二人はそっくりである。
ただ、入鹿には蓋金にないものが備わっていると思わざるをえない。
一つは旻師(みんし)の門下で、蘇我の太郎に如(し)くはなし、といわれたその秀才ぶりである。古今の漢籍に通じ、頭が切れ、師から得た知識も豊富で、学堂にあつまる者のうち抜きんでた学才をみせた、ときいている。
高句麗の泉蓋金は、そんな高級な知識はまるでもちあわせていない。むしろ、学識をばかにしているところがあり、すべては自分の勘にたよって切りひらいていく型の人物である。
もう一つ、入鹿にあって泉蓋金にないものは、有能な助言者ではないかと思われる。
泉蓋金は根っからの独裁者であって、すべては独断専行、わきから支える助言者など一人もいない。
対して、入鹿には旻師の学堂で育った学友がいる。もっとも有能な人物は、おそらく中臣鎌足(なかとみのかまたり)であろうが、きくところによれば入鹿は鎌足を心底から信じて頼りにし、また鎌足のほうも、なにかと力添えをしているということであった。