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【青雲の大和】(48)闘士帰る (1/2ページ)
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はっとして、津守(つもり)は高向玄理(たかむこのくろまろ)の顔をみた。
津守が聖徳太子を奉じて反蘇我活動をつづけていたのは、もう二十年もまえのことである。太子が亡くなってからは蘇我打倒をあきらめ、難波(なにわ)の住吉(すみのえ)にある自宅でひっそくしていた。むろん高向玄理、南淵請安(みなぶちのしょうあん)らはまだ留学中であって、まるで監禁状態のような長い苦しい蟄居(ちっきょ)の生活を、この人たちが知ろうはずがないのである。
「いや、気にしないでいただきたい」
高向玄理は視線をわずかになごませていった。
「じつは長安で、きいたのです」
「長安で?」
「さよう、遣唐大使、犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)どのが洗いざらい話してくれました。わたしはいまも、太子の理想を実現しようとしたあなたがたの活動に敬意をいだいているものでありますが、そのことを前提にしてお話しねがいたい」
かたわらで南淵請安が大きく賛同の笑みをうかべて、うなずいている。
−−つまり、この人たちは、
と、津守は信じられない気持ちで思った。はっきりと反蘇我の姿勢をもって、行動をおこそうとしているのではないか。
「わたしは二年近く高麗(こま)にいて、きのう帰朝報告をすませたばかりであります。したがって、いま飛鳥でなにがおきているのかは存じませぬ」
津守は意を決して話しだした。
「しかし、もしわが国で高麗と同じことがおきるといたしましたら、わたしは命を投げだしてでも、それを阻止するために戦うでありましょう」
「なぜだね」
南淵請安が悠然とした調子できいた。
「高麗の政情はまえよりひきしまっている、泉蓋金(いりかすみ)の政変はいい結果をもたらした、ということではなかったのかね」