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【青雲の大和】(43)槻の広場で (1/2ページ)
軽皇子(かるのみこ)、古人大兄(ふるひとのおおえ)、ともに鎌足(かまたり)は見限った。あれでは国家改新の大業の先頭に立っていただくわけにいかない。
とはいえ、鎌足にはあと主と仰ぐべき皇族はみあたらなかった。鎌足が主君に期待する条件は、それほど厳しいのである。
まず英傑でなければならない。どんなに人徳がそなわっていても、皆の先頭きって突き進める力と気概がなければ、奉戴(ほうたい)するに値しない。識見よりなにより力である。叡知(えいち)より覇気である。くわえて皆が未来の夢を託せるような明るい魅力が、後光のようにその人にかがやいていてほしい。
これらの条件を満たせるとしたら、年齢的にはまず三十歳以上か。どんなに若くても二十歳代後半でなければならないだろう。
鎌足は自邸にもどると、この年頃の皇族を一人ひとり、記憶からひきだして、自分が設定した条件にあてはめてみた。
うち数人は、入鹿(いるか)の指令による斑鳩(いかるが)襲撃と山背大兄(やましろのおおえ)殺害に賛同したとされる人物である。蘇我(そが)の権勢に媚(こ)びたのはあきらかで、鎌足の眼からすれば、それだけで失格である。
では、ほかに有資格者がいるかとなると、どう考えても一人としてみあたらなかった。
脳裡(のうり)にそれぞれの像をえがいては消し、えがいては消し、むなしい作業をくりかえしたあと、夜になってふっと暗闇に、ある皇子の姿がうかびあがってきた。
父君(舒明天皇)が崩じたあと、皇族を代表して誄(しのびごと)(弔辞)をのべる葛城皇子(かつらぎのみこ)である。
あのとき皇子は、たしか十六歳だった。父君に似て面立ちはりりしく、くっきりとした眉(まゆ)と、みるからに覇気のある切れ長の眼が印象的だった。若者らしい歯切れのいい高らかな声は、いまも鎌足の耳に残っている。