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【青雲の大和】(39)槻の広場で (1/2ページ)
軽皇子(かるのみこ)との会談はその日、深夜にまでおよんだ。まだ脚気(かっけ)が治りきっていない軽皇子だが、鎌足(かまたり)がもちこんできたものが、病に萎(な)えていた心をふるいたたせ、希望をよみがえらせたようだった。
鎌足はおもに旻師(みんし)の教えにしたがって、この国のあるべき姿を説いたにすぎない。しかし、軽皇子はあたかもその献策をうけて、みずからが治世に臨んでいるかのように、気を高ぶらせて話しつづけた。
飲み物をはこんできた愛妃小足媛(おたらしひめ)が、ふだんにない夫のようすに驚いたふうに眼をみはっている。そうしたほほえましい姿に接するのは、鎌足にとってもよろこばしいことではあった。
とはいえ、鎌足はかならずしもこの会談に満足していなかった。大君の弟である軽皇子を担いで、この国の改革にとりくもうと考えた戦略に、疑問を感じはじめたのである。
なるほど、軽皇子は人格識見ともにそなわった方であるかもしれない。殿上にすえて、見劣りするような方ではない。しかし鎌足のみるところ、大和の大改革をやりとげるには、なにかが一枚たりないのである。
会談のなかで鎌足が、
「根本的に国のありかたを改める制度につきましては、わたしどもがまとめあげ、とき至らば実行に移せるようにはからいます」
と述べると、軽皇子は会心の笑みをうかべ、
「ああ、それなら布告はわたしがやろう。立場は大君たる姉上を補佐する摂政(せっしょう)ということでどうだ」
と、まるで倉でも建てなおすような気安さで応じた。
蘇我(そが)をはじめ大氏族が支配するこの国の体制のなかで、それをくつがえす改革を断行しようとするなら、旧勢力による恐ろしい抵抗が予想され、ことによれば血みどろの戦いになるかもしれない。
そのとき、陣頭に立って相手を倒し血路をきりひらいていく、そういう覚悟があるかどうかである。