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【青雲の大和】(38)槻の広場で (1/2ページ)

2008.1.19 08:18
このニュースのトピックス青雲の大和

 鎌足(かまたり)は軽皇子(かるのみこ)を静かにみかえした。調度品の飾られた軽皇子の居室には、二人のほかだれもいない。あたりは密談のふんいきを濃厚に漂わせはじめている。

 鎌足にしてみれば、ここはひとつの勝負どころだった。大君の弟である軽皇子を自陣にとりこみ、できうれば鎌足がめざす改革の先頭に立ってもらいたいのである。

「いま、皇子がなさるべきは、大君をしっかりと守ってさしあげることであります」

 じつの姉である大君(皇極天皇)が、蘇我(そが)勢によって皇位から追い落とされることになれば、軽皇子という皇族は折れた弓ほどにも価値のない存在となりはてるのは疑いない。姉君あっての皇子である。

 そのことは鎌足がいうまでもなく、軽皇子自身がよく認識しているはずであった。

 宝皇女(たからのひめみこ)とよばれていた姉君は、じつは再婚して偶然に皇后の地位をつかみ、さらには夫君(舒明(じょめい)天皇)が崩じたため、皇位を継いでわが国二人めの女帝として玉座につくという、数奇で幸運な半生を送ってきている。

 初婚の相手は高向王(たかむこのきみ)といった。疫病で崩じた橘(たちばな)の大君(用明天皇)の孫である。この夫とのあいだに漢王子(あやのみこ)という男の子をもうけたが、その後、ゆえあって離婚するに至っている。

 そのころの軽皇子の立場は、皇位にまるで縁のない末端の皇族にすぎなかった。訳語田(おさだ)の大君(敏達(びだつ)天皇)の孫の子、つまり曾孫(ひまご)であるが、父(茅渟王(ちぬのきみ))が政治的に無力であったため、皇室内ではだれからもかえりみられることのない、いわば日陰の存在であった。

「天皇(すめらみこと)たる姉を守れと鎌足がいうのはわかる。そうしなければ、われの立場がないということも承知している。しかし、どうすれば姉を守れるのか、である。どうすればよいのだ、鎌足」

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