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【青雲の大和】(37)槻の広場で (1/2ページ)
「天皇(すめらみこと)を御位(みくらい)からはずす? どうして、そのようなことが蘇我(そが)にできるのか」
これまで鎌足(かまたり)との議論を楽しむように、笑みをもらしながら話していた軽皇子(かるのみこ)だったが、その穏やかな口ぶりが一変している。
それもむりからぬところがあった。軽皇子が存在を重視されているのは、いまの大君(皇極天皇)のじつの弟であって、皇位継承権でいえば先帝(舒明(じょめい)天皇)の皇子たちにつぐ立場にあるからだった。その姉君が皇位からはずされてしまうと、軽皇子はなんの力もない皇族系のひとりの臣下に転落してしまいかねない。
「もうしあげるまでもなく、皇位は大君が存せられるかぎりつづくものであります。蘇我の力がいかに強大であっても、大君を皇位からはずすといった邪(よこしま)なことを勝手に決められるものではございません」
鎌足は大和の国史が聖徳太子の発議で天皇記、国記といったかたちにまとめられ、いま、蘇我の宗家が保管しているのを知っている。旻師(みんし)の学堂にかよっていたとき、入鹿が天皇記の数巻をもちだしてきて、鎌足にみせてくれたことがあった。
むろん、大君の生前退位など、どこをさがしても記録されていない。そのことは入鹿自身が百も承知しているはずである。
「それをあえてやるというのですから、これは一種の革命であって、蘇我の太郎はこの大和で隋、唐のように革命をやりぬくつもりなのでありましょう」
じつは入鹿は、蘇我系の古人大兄(ふるひとのおおえ)を皇位につけたあと、情勢をみて入鹿自身が皇帝の位につくことをねらっており、旻師の学堂で会ったさい、鎌足にはそれを明言しているのであるが、軽皇子には秘した。あまりにも衝撃的な発言であり、それを今上(きんじょう)の大君の弟にもらすということは、政治的に重大な意味をもってくるからである。