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【青雲の大和】(35)槻の広場で (1/2ページ)
鎌足(かまたり)が動きだしたのは、斑鳩(いかるが)の事件があってからちょうど一カ月後だった。
「これから軽皇子(かるのみこ)のもとへまいる。ついてきてくれ」
坂の上にある館(やかた)をでるとき、控えの間にいた佐伯子麻呂(さえきのこまろ)と若犬養網田(わかいぬかいのあみた)に声をかけた。
二人は蘇我(そが)が太子一族をことごとく死に追いやった斑鳩の事件いらい、交代で鎌足の身辺警護にあたることにしており、皇居板蓋(いたぶき)の宮での勤務をやりくりして鎌足の館に詰めている。
「きょうはやつがれが、お供いたします」
網田が熊のような体躯(たいく)をのっそりと起こしてきた。子麻呂は皇居での勤務につく日であるらしい。
鎌足はむろん、みずからの身辺に危険がせまっているとは思っていなかった。斑鳩の惨劇によって、蘇我に恨みをいだく者がふえているかもしれなかったが、狙われるとしたら蘇我の宗家の人間であって、鎌足が襲われることはありえないのである。
しかし、子麻呂と網田の見方はちがっていた。もし、鎌足が斑鳩襲撃を指令した蘇我入鹿(いるか)の友人であることが知れわたると、なにごとが起きるかわからないというのである。
いまも多くの臣民の崇拝をあつめる聖徳太子であってみれば、その一族が法隆寺において、ことごとく縊死(いし)させられた今回の事件は、天下の憤激をよんでいるにちがいなく、報復のため崇拝者が蘇我勢のみならず蘇我に近い人物も狙ってくるかもしれない。
「そういう人間にかぎって、眼のまえのことしかみえていないものでありまして、なにをしでかすかわからんのです」
自分自身、その気(け)があるという網田は、なにやら確信ありげに鎌足を説得し、子麻呂と二人で警護の態勢をつくりあげたのだった。
「軽皇子とおっしゃるのは、大君(皇極(こうぎょく)天皇)の弟君でございますね」