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【青雲の大和】(18)入鹿と鎌足 (1/2ページ)
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そこが蘇我入鹿(そがのいるか)という人間の奇妙さだった。
太子一族の住まわれる斑鳩(いかるが)の宮を襲撃させて平気なように、権力を誇示し権勢をふるうことに彼は、いっさいためらうところがない。蘇我が権力をにぎって以来、彼は三代目である。入鹿にとって権力とは、身近に転がっている玩具のようなもので、こどもが玩具をもてあそぶように、彼は権力というものをあつかってきた。
それができるのは、彼のほかにだれもいないことを彼自身は知っている。かたちのうえでは大臣(おおおみ)の地位にある父蝦夷(えみし)でさえ、その優柔不断な性格のせいで、もてる権力を使いきることができていない。
入鹿なら、やれるのである。彼はそれを自覚し、誇ってもいた。この国を思うがままに動かすことができるという強烈な自負である。
ところが入鹿の奇妙さは、その一方で信頼する友には無邪気なまでにあけっぴろげで、権高な姿勢をみせたことがないという、ちょっと信じられないような態度をしめすところにあった。
とりわけ鎌足とは、旻師(みんし)の学堂で研鑽(けんさん)し、競いあった仲である。互いに能力をみとめ、畏敬(いけい)しあってもいた。いまでも会えば、おなじ気持ちで会話をかわすことができるはずである。
わずかに気になるのは、すべてが思いどおりになる権力者のもとで育ちながら、入鹿には性格的に少しねじけたところがあることである。へんに疑りぶかいのである。
しかし、これも特定の人間にたいしては、逆になにもかも惚(ほう)けたように信じきってしまうというかたちになって出てくるのを鎌足は知っている。